Teaching is Learning ~教えることは、学ぶこと~

都内の大学で英語を教えています。日々のティーチングや研究についてつづります!

システマ、PBL、そして乱読のセレンディピティ

今日は朝から土砂降りだった。

M大学、9時からの授業、さすがに数人が遅刻していた。

今日はProject-based learning(PBL)クラスで、学生は主にTeam Research Reportの仕上げと来週と再来週に行われるプレゼンに向けての準備の時間にあてた。

昨日、システマに影響されて、同じ著者の本をkindleで購入し、ちらっと読みながら寝たのがだ、そこに、「教えること」について記述があった。

教えるのではなく、引き出す

なんてパワフルな言葉なんだろう。

著者の恩師であるミカエル氏は、「さあ、今教えたアイディアを元にして、自分なりにエクササイズを作ってみてください」と言い残し、ジムを出ていくという。ミカエル氏は続けてこういう。

私がいたらきっと、私に頼りたくなってしまうでしょう。または自分のやっていることがあっているかどうか、確認したくなるかもしれません。でも私がいなければ、自分で考えるしかないでしょう。それともう一つ、私が彼らを信頼していることを示す意思表示でもあります。

この部分を読んだときに、すぐに、「PBLのクラスと一緒だ!」とピンと来たのだった。

これにさらに触発された私は、今日の授業を同じようなスタンスで行った。

最初に「今日はレポートを仕上げることと、プレゼンの準備でパワポを作り、できればリハーサルまでやってみよう。でも、Team LeaderがToday's goalを考えて、Time managementをしながらメンバーに指示していってね。メンバーはリーダーと話し合いながら従っていってね。」

と言い放ち、「レポートのProofreadが必要なときは教えて」と言ったっきり、ほぼほったらかしにした。

時々聞こえてくるディスカッションを聞いていると、ものすごい勢いでタスクを分担してスピーディーにこなしていくチーム、まったく意思疎通が取れず、それぞれが好き勝手にやっている風のチームなど、いろいろと出てきた。

中には個々にいろいろ確認したいと言ってくる学生もいたが、それには丁寧に対応した。さすがにそこは無視するわけにはいかない。苦笑 ただ私の今日の役割はそれぐらいの事だった。

それでも、最後に進捗を確認するまではこちらからは何も言わなかった。

これも、自分たちでコミュニケーションをとって何かを達成していく訓練となるのではないかなと、勝手に感じていた。

Audibleでたまたま見つけたシステマ関連の本で、深く呼吸をするところから始まり、なんだかステマとProject-based learningの共通点のようなものまで急に見えるようになった。

昔、「乱読のセレンディピティ」という本を読んだが、多読していくことで、何かのアイデアや状況が化学反応を起こして、大きなものが出来上がっていくような、そんな経験を、今、している。